歴史的公文書を後世へつなげる仙台市公文書館
※この記事は、機関誌IM2024年3・4月号の再掲記事となります。掲載当時の情報に基づいているため、現在の状況や制度、取り組み内容と一部異なる場合があります。


2018年4月、宮城県公文書館へ取材に伺った時に、発足したばかりの仙台市「公文書館設置準備室」を訪ねたことがあった。それから5年、市内青葉区にある旧貝森小学校の校舎を利用し、評価・選別した歴史的公文書を保存・公開できる公文書館が開館し、2023年7月3日、郡和子市長など関係者が出席して記念の式典を開催した。
仙台市公文書館は宮城県内では2番目、全国20の政令指定都市では11番目の公文書館となった。郡市長は「仙台市の歩みそのものとも言える歴史的公文書を、良好な保管環境の下で永久に保存し、次代へ引き継ぐ重要な役割を担う施設です。市民の皆さまに市政への関心と理解をさらに深めていただけるよう、さまざまな工夫をこらしながら、公文書の保存と施設活用の取り組みを進めてまいります」(仙台市HPから)と挨拶された。今回は同館の庄子淳館長に開館までの経緯を中心にお話を伺った。
(取材訪問日:2023年12月25日)
JIIMA広報委員会
認証アーキビスト
長井 勉
開館までの経緯
―開館から半年近く経ちました。いかがですか。
当初2022年7月の開館予定だったのですが、コロナ禍で準備が遅れました。その上、2022年3月の福島県沖地震が発生し、建物の一部が損傷し、補修工事が必要になりました。すでに排架した書架から文書類が落下し職員総出で作業したこともありました。その結果、開館が1年遅れました。

―公文書館の設置に早くから取り組まれていたと聞いていました。
昭和50年代から郷土史研究団体などから公文書館の設置の要請がありました。公文書館法が1987年に施行され、市としてもその必要性は認識していました。
―庁内外から検討会の設立の声がありました。
市議会からも公文書館の設置の意見が出され、庁内職員によって「公文書館設置研究会」が2003年に設置されました。当時は既設の建物(旧図書館)の再利用を考えていましたが、老朽化等によって工事も難しく、具体的な検討までには至りませんでした。
―2011年には公文書管理法が施行し、自治体にとっては努力義務ですが、歴史的公文書の保存・公開への施策が注目されるようになります。
仙台市では、1990年から市制100周年事業として仙台市史編さん事業がスタートしました。2014年には全32巻が刊行されましたが、2013年8月に市史編さん専門委員会から仙台市長に「仙台市史編さん事業の収束についての提言書」が提出されました。具体的には、公文書館機能を有する施設(組織)の整備を促進することです。公文書館の必要性が高まり、歴史的公文書の保存の規定を作成しました。
―この提言は公文書館設置に向けた大きなインパクトです。次は歴史的公文書の選別・収集の作業です。
まずは歴史的公文書の収集選別の基準作りです。2015年3月に庁内関係課による検討委員会において検討しました。すでに他の政令市で定めている同様の基準などを参考にして策定しました。歴史的公文書の収集選別を試験的に開始したのもこの頃からです。対象は文書法制課が所管する書庫に保存している文書です。
小学校の校舎の再利用
―旧貝森小学校の跡地利用が決まったのは。
貝森小学校は2015年3月に閉校しましたが、2017年2月に校舎の利活用策として、公文書館的施設の設置が決定しました。この学校周辺は仙台市内の新興団地で昭和の終わりに開校したのですが、年々少子化が進み閉校することになりました。したがって30年程の歴史の学校でしたが、地元からは存続の声もありましたので、館内に「学校アーカイブズ」として展示室(メモリアル・スペース)を作りました。当時の父兄が来館されたりもしています。


―2018年4月に宮城県公文書館に取材で伺った折に仙台市役所に立ち寄りました。公文書館設置準備室が立ち上がったばかりの頃です。
準備室では職員2名、嘱託職員2名で歴史的公文書の収集選別を開始しました。すでに文書法制課の書庫にある保存文書の移管はほぼできています。収蔵可能量は幅6㎝ファイルで11万冊分相当、30年分以上の使用を想定しています。
5年間かけた歴史的公文書の評価・選別作業
―有識者による検討会議の設置もその頃ですか。
2020年7月から、公文書館の設置にあたり、館の運営検討や歴史資料として重要であると認められる文書の収集選別、保存及び活用に関する基準の検証や策定を効果的に行うために有識者等の意見を聴き取ることを目的に設置しました。
―どのようにして各課に歴史的公文書の移管準備のお願いをしましたか。
各課に、公文書館設置に伴い、保存年限が満了したら廃棄するのではなく、重要な文書は公文書館に移管すること、そして5年、10年の保存文書にも歴史的公文書として価値がある文書もあることを伝え移管をお願いしました。各課の担当者と協議しながらです。当時は市職員にも歴史的公文書とは何か、公文書館の役割など知られていませんでしたが、その後、2ケ月ごとに公文書館設置担当からニュースを発行して、例えば職員が興味ありそうな歴史的公文書の紹介など周知に努めました。2021年7月に旧貝森小学校の改修を終えて、2022年3月から歴史的公文書を書庫内に搬入しました。
―開館までの5年間、歴史的公文書の移管作業はじっくりできましたか。
お陰様で5年間で職員の歴史的公文書に対する意識は変わってきましたけれども、職員への発信はまだ必要です。各課では庶務担当の係長クラスの職員が文書管理を担当しています。文書を作成してファイリングすることまでは知っていても、保存、移管といった文書のライフサイクルまではあまり認識されていません。係長、課長級の研修でも歴史的公文書を周知する必要があります。
―公文書館への移管量はどのくらいですか。
まだ未整理のものもありますが、文書法制課の書庫からは明治・大正期から平成までの公文書を大量に移管しました。また市史編さん事業で収集した文書類も博物館から移管しました。歴史的公文書の目録のシステムを構築しており、移管した歴史的公文書の目録の入力に取り掛かっています。現在、約12,000件の入力を終えています。
―公文書館の体制は。
館長以下9名体制で進めています。その中で専門職として学芸員の資格者が5名いますが、認証アーキビストはいません。
―開館のPRはどのようにされましたか。
まず仙台市の市政だよりに特集ページを掲載し、また地元新聞やテレビ、タウンニュースにも取り上げていただきました。近くに住む人に多く来て頂きました。
―公文書館設置前はどこで保存・公開していましたか。
仙台市の市政に関する情報提供の窓口である市政情報センターで、公文書の開示請求として受付していました。今でも市政情報センターに問い合わせがある場合には対応しています。情報センターは市内に3か所と東京事務所にも設置されています。
欠かせない公文書管理の条例化
―開館前の2023年3月に公文書管理条例が公布されました。
当市では1991年10月に「仙台市情報公開条例」を施行し、公文書の開示を中心とした情報公開制度により、公正で透明な開かれた市政の実現に取り組んできました。情報公開制度が適切に運用されるためには、その前提として、公開の対象となる公文書が適正に管理されている必要があります。従来の文書管理に関するルールは、市長等の市の各機関がそれぞれ内部規程として定めたものでした。公文書管理条例の目的は本市の公文書管理の基本的事項を定め、公文書の適正な管理と歴史的公文書等の適切な保存や利用等を行うことです。
市政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、市の諸活動を現在・将来の市民に説明する責務を果たすため、条例には4つのポイントがあります。①公文書の管理、②歴史的公文書等の保存、利用等、③仙台市公文書館の設置、④職員研修。職員に対し、公文書等の管理を適正かつ効果的に行うため必要な研修を実施していくことを規定しています。条例案の段階で2022年10月から1ケ月間パブリックコメントを募集し、複数の建設的なご意見を頂きました。当初は公文書館の設置を優先させていたのですが、開館が遅れたために条例の制定も同時に進めることができたと言えるでしょう。
―仙台弁護士会からの公文書管理条例の制定を求める声明があったそうですが。
同会は以前から公文書管理に熱心な取り組みをしています。2017年2月に「公文書管理条例の制定を求める意見書」をいただいたこともありました。仙台市の条例が施行した後も、宮城県内のすべての自治体に対して公文書管理条例の制定を求める声明を出しているそうです。
震災公文書の廃棄と保存
―膨大な東日本震災関連文書の選別と保存はどのように対応しましたか。
仙台市では大災害と復興の記録は後に歴史的公文書になりうるとして、各部署に対して当面保存期間に関係なく保存をお願いしました。その結果、文書も膨大になり保管場所の確保に苦労してきました。そこで震災関連文書の選別ガイドラインを、国のガイドラインを参考にして作成しました。また阪神・淡路大震災を経験した神戸市にも問い合わせて参考にしました。神戸市では約6,400箱の震災関連文書を選別して約4割廃棄したそうです。住民の個々の記録でなく、仙台市としての震災の記録を保存することが目的です。したがって給付金申請や罹災証明などは対象外としています。ようやく各部署に保存の基準を示すことができました。新型コロナ対応文書も歴史的公文書として永年保存することにしています。
―県内の自治体の動向は。
被災関連文書の保存について、いくつかの被災自治体から問い合わせがありました。やはり保存をどうするかが各自治体の検討課題です。
―仙台市はミュージアムが多い町ですね。
市内には歴史民俗資料館、博物館、文学館などの市立ミュージアムだけでなく、大学関係のミュージアムもあります。今後は仙台・宮城ミュージアム・アライアンス(仙台・宮城地域の多様なミュージアムが連携する組織で各施設の特長を活かしながら、人々の知的好奇心とミュージアムの知的資源が交わり循環することを目指している)などとも協力して勉強会や企画なども進めていきたいですね。

―どのような公文書館をめざしたいですか。
仙台市で過去にどのようなことがあったのかを知る拠り所の一つとして、広く市民に認識していただけるのはもちろんですが、仙台市公文書等の管理に関する条例において「市の諸活動を現在及び将来の市民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする」と定めているように、これからの仙台市を考える職員や市民が、仙台市の過去に学ぶ場として認識していただける公文書館でありたいです。
―本日はご多忙の中、お話を伺うことができありがとうございました。
インタビューを終えて
この正月休みに司馬遼太郎の書いた『全講演3』(朝日文庫)を読んでいたら面白い話に出会った。その中で、東洋学者・中国史学者の貝塚茂樹(1904-1987)が「文明人と野蛮人を区別する方法は一つしかありませんな」と古代中国を例にとった話である。もちろん「文明人」は中国人、「野蛮人」は辺境地の民族(ウイグル人やモンゴル人)のことで、文明人はすべて記録するが、野蛮人は亡くなった人のことは記録しないからだという。
そこで中国人が歴史を記すことに執着する故事を以下に紹介しよう。古くは中国の春秋時代に斉の国王である荘公はその家臣の崔杼に殺された。記録者は「崔杼、その君を弑す」と書いたところ崔杼は記録者を殺した。その弟が記録者になり同じことを書いたら崔杼はその者を殺した。その弟がまた同様に記録を書いた。崔杼は諦めて、これ以上記録を歪めることはできなかった。この話は『司馬遷史記』の「左伝」に載っていることを友人に聞いたことがある。
もう一つ紹介するならば、清の時代の各皇帝には常に記録係が仕えて一部始終を記していた。咸豊帝(1831-1861)の側室だった西太后(1835-1908)は彼の没後、権力者として君臨したが、側室の時から記録に対しては時には皇帝に替わって、忠実に務めたという話も伝わる。言い換えれば、中国の皇帝は後世あるいは次世代を考えて歴史の事実を遺し、編さんして史書を起してきた。したがって歴史を編むことなく、後世を考えない国は「野蛮な国」になるという論法が成り立つ。したがってこの国の約1,700の自治体の内、公文書館設置は約5%の自治体しかない実態からみて、後世に公文書を遺すことに積極的に取組んでいるとは考えにくく、それは貝塚流に考えれば、公文書館法があるにもかかわらず、この国は文明国とは決して言えない。
さてインタビューを通じて思うことは、開館前の5年間にわたって移管すべき歴史的公文書の評価・選別に努力したことである。各課を巡回し、歴史的公文書の定義や保存年限と歴史的公文書の関係、後世をしっかり見据えての評価・選別の基準説明などに精力的に活動したことだろう。おそらく公文書館が開館したことに職員がどのように対応すべきかをイメージできる職員は多くはない。さらにルールはわかっていても実際の歴史的公文書の扱いは各課の業務内容によって変わってくる。したがって現用文書の管理が杜撰だと良質な歴史的公文書は生まれない。巡回指導した時には、改めて公文書管理のルールを説明したこともあったはずだ。これらの努力の結果、適切な公文書管理と公文書館の位置づけを職員が実践的な指導・研修を受けたことになった。今後も各職員階層別の研修を繰り返すことは欠かせない。
もうひとつ特筆すべきは、開館が遅れた結果としてもたらされた公文書管理の条例化である。これまでの公文書管理規定だけでは実行できなかったことは、条例によって市民のための公文書であることが明確にされたことである。この結果、情報公開条例と併せて公文書管理が市政活動の信頼と説明責任を果たすことができるようになった。そして後世へ仙台市の歴史を引き継ぐことができるようになったのは公文書館のお陰だと職員、市民が頷いてくれる日を期待している。
最後に記したいことは、専門職の育成である。他の公文書館では見られない5名もの学芸員が専門職として同館の利活用を促進してくれるだけでなく、人材育成にも寄与するだろう。幸いにして2022年度から東北大学大学院では認証アーキビストをめざす養成講座が設置された。実践を学ぶフィールドとして同館との連携した割も期待したい。


