郡山市歴史情報博物館 ─過去と未来をつなぎ、郷土への誇りを育む「知の結節点」

※この記事は、機関誌IM2025年9・10月号の再掲記事となります。掲載当時の情報に基づいているため、現在の状況や制度、取り組み内容と一部異なる場合があります。


JIIMA広報委員会
認証アーキビスト
長井 勉ながい つとむ

 JR郡山駅からバスで15分程の麓山地区には、日本の歴史公園100選に選定された麓山公園、中央図書館、中央公民館、文化センター、開成館、有形文化財になっている公会堂など多くの文化施設が集積され、郡山市民が主体的な活動ができるエリアでもある。特に公会堂は郡山市制を記念して1924年に完成し、今年で101年を迎える。それを記念に、本年9月1日には今回復元される電燈の点灯式が行われる予定だという。この資金獲得には、ふるさと納税を活用したクラウドファンディングを実施したので市民の関心を一層高めることになっただろう。

 足を延ばして、開成山公園に行くと安積開拓顕彰があり、以下のように刻まれている。「安積原野の開拓はこの地より創まる」と題し、「かつて奥州路の小宿駅に過ぎなかった郡山は、明治の初期、この地の富商らが結成した開成社と、士族授産を目的とした明治政府直轄の大規模開拓により、太古以来の安積原野がことごとく開拓された。(中略)われらは、この地に開拓精神発揚のシンボルとして、「開拓者の群像」を設置し、先人に感謝しその偉業をたたえ、これを後世に伝えるものである」

 2025年3月15日、さらに後世に受け継がれる歴史を公開する新たな施設、郡山市歴史情報博物館がオープンした。郡山の昔と今を知ることができる施設である。特筆すべきは同館が東北地方で初めて、博物館機能と公文書館機能を併せ持つ複合
施設として開館されたことだ。ご多忙の中、文化スポーツ観光部歴史情報博物館の嶋根裕一館長、橋本浩光係長、渡邉裕太主査にお話を伺った。

(取材日:2025年6月25日)

開館までの経緯

―まずは開館までの経緯をお願いします。

 この近くにありました1982年開館の郡山市歴史資料館が前身です。老朽化も進み、また東日本大震災で建物や所蔵資料に被害が発生しました。併せて歴史公文書の保存と活用についても課題になっていた時期でもありました。2014年に有識者などで構成された「郡山市歴史資料保存整備検討委員会」が立ち上がり、歴史資料の適正な保存と効果的な活用の検討を開始しました。2015年の報告書によると、その基本理念は「市民と共に郡山市の歴史・文化遺産を保全、整備、活用し、次世代へ継承する」です。2018年には「(仮称)郡山市公文書・歴史情報館基本構想策定業務に係る公募型プロポーザル」を実施しました。その後、施設整備の検討を進め、2018年に基本構想を、そして翌2019年には基本計画を策定しました。


―財源の確保について。

 財源の検討のなかで、国土交通省のまちづくり関係の補助事業を活用することになりました。関係機関と協議をし、国交省の「都市構造再編集中支援事業」の交付金を活用することになりました。この事業は、立地適正化計画に基づき、都市機能や居住環境の向上に資する公共公益施設の誘導・整備等に対し、持続可能で強靭な都市構造へ再編を図ることを目的とする事業です。

右から文化スポーツ観光部歴史情報博物館の嶋根裕一館長、橋本浩光係長、渡邉裕太主査

―この事業交付金には条件がありましたか。

 事業のルール上、5年間で完成させることです。全体事業の中で、施設の必要性を理解し、場所の検討など市民や議会への説明もしながら、結果的にはこの場所に整備することとなりました。博物館が建っているこの場所は、隣接する中央図書館の駐車場でした。中央図書館と連携を密にすることは必要でしたので好条件でしたが、中央図書館利用者には駐車場が欠かせなかったため、この建物の北側に600台弱の立体駐車場をまずは整備することになりました。駐車場建設で約3年かかりましたので、残り2年で完了しないといけません。博物館建設などは、短いスケジュールの中で進めて開館しました。


―5年ほど前に旧歴史資料館に立ち寄ったことがあります。

 1982年に郡山市中央図書館の附属施設として開館し、2001年に独立した施設になりました。来られた頃には、将来構想が描かれていました。ちなみに開館に併せて、同館の解体工事から解体後の跡地整備まで、一連の補助事業として実施することができました。当館へは約14万点の資料類が移管され、そのうち約600点が常時展示されています。

常設展示室内 テーマ展示「ものと文化」
三春馬車鉄道の復元展示を中心に、幅広い世代で楽しめるデジタルコンテンツを用いた交通史がテーマのギャラリー

まちづくりと歴史文化施設の連携

― 郡山市のまちづくり構想の中で博物館が設立されたと伺いましたが、この発想で開館したケースは少ないのでは。

 麓山地区には、元々様々な文化施設が集積していました。博物館の西側には中央公民館があり、その隣にはシンボル的な建物として公会堂があります。また、東側には中央図書館があり、その先には文化センターがあります。このようなエリアにまちづくり計画を面的に重ねてプランを作り上げました。


―郡山駅から歩いても行けますね。

 駅から約2km、ちょっと頑張れば徒歩圏内です。中心市街地からも近いということもあって、街づくりの一環としても観光客とインバウンド需要も今後見込めるだろうと予測しています。そういうこともあって、当館担当は文化スポーツ部でしたが、2025年4月から観光部門も加わり、一体的な取組みをする方向で進めていくこととなりました。この考えは国交省の助成事業の中にも盛り込んでいます。これからは観光協会と連携しながら集客に努めることになりますね。


―集客に苦労している他の自治体の公文書館もあると聞きます。

 まちづくりの一環として設置した公文書館機能をもつ博物館ですが、総合的なプランを作っても、まずは来館していただくことが大事です。例えば、公会堂を見て記念写真を撮り、公園を散策し、休憩にこの博物館にフラッと立ち寄っていただけると嬉しいです。


―開成館も近くにあります。

 開成館は、1874年に郡役所の前身として建築され、安積開拓の中心となる「福島県開拓掛」が置かれた建物で、擬洋風建築です。ここから開成館へ行く途中には、郡山ゆかりの作家の業績を顕彰し、文学を通じた地域文化の拠点でもある「こおりやま文学の森資料館」があります。高山樗牛、宮本百合子、久米正雄などが郡山ゆかりの作家です。


― 郡山の歴史観光のスポットが集まり、各地を回ってスタンプラリーができそうです。

 すでにいくつもの団体に来館いただいています。また、先日はJRの企画で駅前から自転車で開成山公園や文化施設を巡り、当館を訪れるツアーも実施されました。学校関係でも60団体ほど来館頂きました。それ以外にも、すでに100件近くの団体予約をいただいています。また、この夏には博物館、美術館、科学館、中央図書館と合同で「郡山知っトク!夏のMLAクイズラリー」を実施します。

公文書館機能について

― 公文書、博物館、市民交流というこの3つの機能を入れて開館しましたが、旧歴史資料館では公文書の扱いは。

 その当時はありません。当館の建設を契機に、郡山市では公文書管理条例を2024年4月1日に施行しました。これまでは現用文書として保存し、情報公開制度での対応のみでしたが、博物館に歴史公文書を移管し、永久保存し、公開するという新たな公文書管理の考え方を導入しました。


―当時、首長からの意見は。

 当時の品川 萬里(2013-2025在職)市長は「公文書館というのは町の歴史を物語る施設であるので、世界中どこに行っても公文書館を訪ねると、その町のことが分かる。郡山市にも必要だろう」と話していました。品川市長は公文書館の必要性を考えていましたので、公文書館整備のプロジェクトチームを発足させました。


―館の名称を博物館にしたというのは。

 開館まで2年前の頃ですが、一般的に知られている「博物館」にした方が利用していただけるのではないかという意見が多かったですね。元々は「(仮称)歴史情報・公文書館整備事業」という名称で始まった事業でした。最終的に「公文書館」の部分を「博物館」に変えました。コンセプトは変えずに複合的な機能を持たすことが必要だと感じました。結局、多くの議論がありましたが「博物館」になりました。


―他の公文書館を参考にしましたか。

 三重県総合博物館に視察に行きました。博物館機能と公文書館機能を兼ね備える複合施設ですので、大変参考になりました。


― 郡山と言えば、日本三大疏水事業の一つ、安積疏水が歴史的な事業です。これに関する公文書類の保存は。

 この事業は国と県の事業になりますので、基本として国と県の公文書になっています。郡山市としては、旧町庁関係や開拓するために地元の有力者で1874年に会社組織された土地改良事業の「開成社」があります。開成社は今でも存続しており、150年を超える歴史があります。その中で個人所有の歴史資料は当館で所蔵されています。


―収集した資料から歴史的に価値ある企業史が編さんできます。

 その子孫の方々が市内の有力企業で活躍されています。個人所有文書が多く、これまでにも郡山市史編さんで使わせて頂き、また今回博物館設置にあたり、歴史資料をここに移動しました。元来、開成社の発起人たちは江戸時代に宿場を経営していたので、実際には200年、300年と連綿と続く歴史を持っています。余談ですが、「開成」は易経に出てくる「開物成務」から名付けられ、「万物を開発してあらゆる事業を完成させること」という意味です。そこから会社名や地名になりました。


―施設の話になりますが、ご紹介ください。

 この建物は2階建て構造になっていて、1階部分は展示室になっています。地下に収蔵庫が2つ、その他特別収蔵庫と一時保管庫があります。公文書は古文書と同じ収蔵庫1で保存する計画です。文化庁の勧めで二夏を経過するまで環境を落ち着かせてから資料を入れた方がいいので、今年の夏過ぎから資料を整理しながら順次収蔵する計画にしています。現在、図書館や廃校舎などを利用して仮保管しています。博物館では、郡山市の生活の変遷を示す生活文化全般に関する資料や民俗関係を所蔵・公開しています。常設の「テーマ展示室」では、「ものと文化」「みちとまち」をテーマに郡山の歴史を原始・古代・中世・近世・近現代にわけ、通史として展示しています。

常設展示室(原始)
常設展示室(古代)
常設展示室(中世)
常設展示室(近世)

地域の歴史と人々

―ところで、郡山で一番有名な方はどなたですか。

 江戸時代で活躍した人ということであれば、安積艮斉(1791-1861)でしょうか。昌平坂学問所で指導し、ペリー来航時の米国国書の翻訳をしました。安積国造神社の境内には生誕地の碑があります。作家の久米正男、宮本百合子なども郡山の出身です。俳優の西田敏行もここの出身で、1周忌の頃に記念イベントを博物館も含め複数施設で開催の予定です。

公文書管理の条例化と仕組み

― 昨年、公文書管理条例が施行され、非現用文書がここに移管される仕組みができました。

 福島県内で初めてこの条例を公布しました。条例の施行により、保存期間満了文書の取扱方法が変わります。これまで何年にも亘ってルール作りなど検討してきました。それを元に公文書管理の条例化も進めました。これからは公文書への理解とルール、歴史的に価値ある公文書の選別や移管について職員研修で説明していきます。


―公文書管理条例によって永年保存期間の文書はなくなりました。

 条例を施行するに当たり、文書の保存期間を変更し、1年、3年、5年、10年、30年期間の保存としました。また公文書管理委員会が設置され、移管・廃棄等の判断などを調整する仕組みになっています。すでに文書管理システムも導入され、今後は電子公文書の移管などが課題になり、担当部門と協議をしています。


― 公文書管理条例の条文を見させていただきましたが、ここまで詳しく書いてある自治体は他にはないように感じました。たとえば、第一条の目的に「歴史的事実の記録である公文書」という文言を掲げています。

 すでに先行している自治体を参考にしながら、公文書の管理に係る懇談会で国立公文書館の方など有識者の方からご意見を頂戴して条例を作りました。公文書は、市民共有の知的資源であり、公文書の適切な保存及び利用は、行政の適正かつ効率的な運営に役立つだけでなく、現在及び将来の市民に対する説明責任を果たし、本市の歴史、文化の研究等の振興並びに市民のアイデンティティ形成にも寄与するものと考えています。


―話は前後しますが、開館当時の様子を。

 3月15日開館セレモニーを行いました。来賓関係者を含めて約60名の参加でした。公文書館機能を持つ東北初の博物館としてマスコミにも大きくとりあげられました。開館に向けて、定期的なプレスリリースやコラムを書いて開館機運を盛り上げました。幸いにも近くにTV局があり、毎日当館前で天気予報の中継をしてくれました。

開館後の展開と今後の展望

―今後の企画は。

 博物館サイトを随時更新して、イベント情報や企画展の情報発信する他に、週末を中心に多くのイベントをやっているので、参加者も内容によって増えています。またワークショップや講座・展示を企画しています。博物館と直接関係ない地元の企業や大学の研究機関とも連携して、幅広く活動していきます。県内外の大学や他の都市からも見学に来ています。これからも増えそうです。


―デジタルアーカイブズへの取り組みは。

 開館が優先で来ましたので、今後の課題です。徐々に効率的な作業を検討しながら構築していきたいです。所蔵品などのデータベースも今進めているところです。古文書は40冊以上の目録を発行しており、約6万点分が収録されています。


―おそらく古文書含めて歴史的な一級品が多いです。

 近世時代の分家である守山藩の「御用留帳」などの歴史資料が約150年分残っております。それらを含めて目録化だけは進めました。それをデジタル化して公開したことで、検索は比較的できるようになりました。その他、歴史文書など約6万件は閲覧可能に、民俗資料2500点が写真も含めて公開できました。廃校になった小学校に考古資料があり、今後整理しながら公開していきます。


―開館に伴って個人寄贈や寄託の問い合わせも多いのでは。

 そのような依頼には待って頂いています。博物館協議会も近々に立ち上がる予定で、意見も聞きながら収集のガイドラインを決めていきます。


―これからの課題は。

 財源確保が課題です。アーカイブも含めて資料整理などの作業で費用かかかります。文化庁から意見を聞きながら進めていきたいです。公文書管理では、国立公文書館のアーカイブス研修に積極的に参加し、今後は専門職(認証アーキビスト)育成も検討していきます。

オープンスペースは、ギャラリートークや講演会、伝統芸能の公演などに利用されている

― 最後に伺いたいことですが、キャッチフレーズに「結節点」を使っていますが。

 郡山市は東西南北に東北新幹線、東北・磐越自動車道がクロスする交通網の拠点であり、学術・研究機関など「知」が集結しています。「知の結節点」とは人、モノ、情報、知が集まるクロスポイントのことです。この言葉は、以前から郡山市を象徴して使われています。また、この博物館が様々な関係施設と連携をしながらの取組みをも表しています。


―本日はありがとうございました。

インタビューを終えて

 インタビューから2日後に朗報を知った。それは郡山市歴史情報博物館が福島県教育委員会から登録博物館に認定され、東北地方では初の公文書館機能を有する登録博物館になったことだ。その結果、公的な信用度のアップとロゴ作成のPRの他に、法制度や予算上の措置に大きなメリットがあるだけでなく、当館の魅力をさらに市民に伝え、誇りに思う取り組みが一層求められることになる。ハード面の支援は国交省、ソフト面の支援は文化庁となり、今後は市民との協創による博物館づくりが始まる。

 以前から子供への図書館活動が活発な都市である郡山、市民の読書活動が東北一となったこともある。郡山に尽くした偉人の功績は記念碑だけでなく、読書活動を通じて市民が多くの歴史情報を知る機会にもなっていただろう。そして話はそれるが、安積疏水の測量と設計を担当した外国人技術者であるオランダ人ファン・ドールンのことである。彼の墓碑を母国アムステルダムに、没後70年以上を経た1979年に建立されたという。偉業を果たした人を忘れずに、後世に伝える郡山市民の心情を表している出来事である。

 話を戻し、さかのぼること2019年ICOM京都大会では「文化をつなぐミュージアム」として博物館を捉え、文化観光、まちづくり、社会包摂など社会的・地域的課題と向き合うための場として位置づけられ、また2022年に70年ぶりに「博物館法」が改正され、資料のデジタルアーカイブ化という新たな業務が追加された。さらに博物館が地域の活力向上に関係機関と連携することなどが文化庁から発信されてきた。つまりこれからは地域に貢献し、ICT活用の博物館構想を考える時代になってきたと言えるだろう。

 事実、2025年3月に公表された郡山市歴史情報博物館の基本的運営方針のなかで、「博物館資料及び特定歴史公文書等の活用をとおして、豊かな地域史像を描き出し、さらには、地域に遺された貴重な文化財等も含めた「歴史・文化遺産」の保全、整備活用を進め、魅力や価値を国内外に発信するとともに、次世代への継承を図る拠点施設となることを目指しています。(以下略)」と将来の進むべき博物館の理念を述べている。これからは、シビックプライドをめざすなら市民も参加できる協議会などを立ち上げることも必要だ。数年前、筆者は「地方創生に欠かせない公文書館の設置」を繰り返し訴求したが、賑わいのあるまちづくりには、MLAとそれを取り巻く歴史文化財などの活用が欠かせないことを改めて感じさせられた。機会があれば再訪したい郡山である。

 最後に記したいことは、開館を優先したのでやむを得ないが、公文書館機能のPRも必要だ。まずは公文書の定義や、作成から廃棄・歴史公文書としての移管までの流れを説明するコーナーと市制度の始まりに関する公文書の展示を館内にお願いしたい。別の言い方をすれば、デジタル力とドキュメント力によるアーカイブが混在するミュージアム、それが新しいコンセプトを有する郡山市歴史情報博物館ではないだろうか。依然として設置への普及率が上がらない自治体の公文書館、機能を重視した手法で、博物館利用による歴史公文書の保存と公開に取り組んだ事例を学んで欲しい。

 余談であるが、教育アーカイブについて、東京都内にある開校150年のS小学校史を調べていると、卒業生に宮本百合子(1899-1951)がいた。郡山に縁があったのは、宮本の父方の祖父が安積開拓に尽力した中条政恒だという。宮本は17歳のデビュー作『貧しき人々の群』のなかで、「私共の先代は、このK村の開拓者であった。(中略)同じ福島県に属している村落の中でも貧しい部に入っている。(中略)1年中東京にいた私は、夏になるとK村の祖母の家に行くのを習慣にしていた」とリアルなタッチで、時折訪れる村の暮らしなどを描いていた。また久米正雄(1891-1952)が安積に移転したのも、母方の祖父が立岩一郎で中条と共に同地の開拓指導者だったからだ。昭和の時代を代表する作家が、思いがけず郡山に縁があることも興味深く、『こおりやま文学の森資料館』では、二人の作家に出会える。(筆者注:K村とは桑野村、現在郡山市桑野)
〈参考:『郡山の歴史』〉

(敬称略)

機関誌IM2025年9・10月号再掲

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